国鉄カラー その1

 良きにつけ悪しきにつけ、テッチャンがマスコミを騒がす原因の一つに、
『国鉄カラー』の列車の運転があります。

日本国有鉄道から日本各地のJR会社に転換したのは1987年。
この駄文を書き記しているのは2016年。30年近くが過ぎようとしてます。

30年と言う時間の長さは、おぎゃあと生まれた赤ん坊が社会人となって立派に活躍している時間。
家庭を持って、社会の中核で頑張っている人が沢山います。


鉄道車両での30年は、かなり各所がくたびれてきて、新幹線なら既に廃車。
普通の車両でも一度以上はリニューアルするか、世代交代してます。

それ以前から20数年走っている車両なら、車歴40年を超えているのも珍しくない。

乗り心地も悪く、風雨や場合によっては粉雪さえ車内に舞い込んでくる始末です。
とてもサービスレベルが低い状態の車両さえあります。



何故、そんな車両がテッチャンを惹き寄せるんでしょうか?
写真を撮っていて判るのは、その理由の一つとして

  風景に映えるから

です。


 これがステンレスやアルミ製ボディーで地金むき出しだと、ギラギラ感が強すぎて景色の中で映えさせるのに少々コツが要ります。

しかし、国鉄特急カラーを代表するクリームに赤い帯は、不思議と四季の景色のなかで目立ちすぎることなく際立つのです。
これを最初に考えたデザイナーさんは素晴らしい感性の持ち主だったと推察できます。



乗客さんへのサービスレベルはともかくとして、そんな国鉄カラーのストックをご披露させて頂きます。


説明

JR九州から国鉄特急型の代表である485型列車が置き換わる2年ほど前から数回、九州探訪をしていました。
置き換え直前ともなると、同業者テッチャンで場所取りやらケンカやらの、気分の悪い事態が発生することが予測できたからです。

そこまでして撮影したいとは思いません。
何事も余裕をもって、特にテッチャン撮影はのんびりした気分で撮影に臨みたいものです。

ここ、日豊本線の宮崎〜南宮崎間の超有名どころ、大淀川橋梁もかなりワイドなロケ地です。
当日の撮影者は私一人。

夕ご飯は宮崎地鶏と美味しい焼酎を堪能しました。


日豊本線の鹿児島側です。重富〜姶良(あいら)間の思井川橋梁から撮影です。
写真には写っていませんが、画面左側の海上には桜島がモコモコと噴煙を上げていました。

この橋梁のすぐ横は河口です。魚影が多いのか、釣り人や餌を求める水鳥で賑わっていました。


鹿児島中央駅でのナイトバルブです。
三脚を使って撮影していた時代です。

駅での三脚使用に賛否両論があります。
当然ながら首都圏の通勤路線の駅で、しかもホーム中央で堂々と撮影…なんてのは完全な邪道です。

本当に迷惑なんですよ。いや迷惑を通り越して危険行為。安全妨害。社会の害悪。

この撮影、わずかに右側に見える列車の乗降客さえ途絶えていて、しかもホーム端っこからの撮影なのでOKと判断。


そういう善悪の判断ができない人、ネットの意見に惑わされやすい人は、撮影なんかやめるべきです。


日豊本線の霧島神宮〜国分間の水田から撮影です。
季節はすでに秋。稲刈りが終わって田んぼは稲わらが干されていました。

この撮影ロケも田んぼに入ることなく、舗装されたアスファルトからやってます。
素人が判断できずに勝手に他所様の農耕地に踏み込んではいけないのです。



JR九州は、テッチャンへのサービスが良いカイシャだと思います。
旧国鉄カラーだけで、この5連と3連の二本立てがありました。

これ以外には、全身真っ赤な列車と、ハウステンボスを意識したパッチワークカラーの列車も。

どちらかと言えば、真っ赤な奴とパステルカラーの方が映えが良かったです。


これも国鉄カラーです。
長崎県の大村湾を走る、大村線。風光明媚なロケがそこかしこにあります。

中でも、最高の夕日が拝める千綿駅近辺がお気に入り。
ななつ星を待つ間、こうした列車を撮影していました。


これは30年以上前の国鉄山陰本線の保津峡付近。
今は観光列車の路線になっています。

古い客車のドアは手動でした。
何故か大勢の若者が乗っていて、身を乗り出す不届き者(笑)も居ました。

今では考えられないほどおおらかな時代でした。


大阪府高槻市内の東海道線、JR西日本の京都線です。
ここは複々線区間で、特急、新快速などの高速列車と、普通列車の上下二本、計四本が走っています。

生活道路と線路を隔てる柵が1m50程度しかなく、撮影にはもってこいの環境でした。
しかしほどなくフェンスで張り巡らされてしまいました。不届き者が居たのでしょう。

一番手前の先頭車は、実は中間車両に後で運転台一式を追加した車両です。
A02と呼ばれて、テッチャン連中には親しまれていました。


この車両、妙に塗装が痛んでいました。
インターネットでも少し有名になり、なんでも車両保守の洗車機の石鹸が強すぎたのが原因だとか。
真偽のほどは不明ながら、そんな情報までが瞬時に伝わるネットの便利さと怖さを実感したものです。


大阪に住んでいた2004年〜2006年。
休日には早朝クルマで京都南〜湖西道路〜国道161号〜国道8号と、福井まで北陸線詣に出かけていました。

途中、上手くダイヤが判っていれば、北小松〜近江高島の優良ロケ地で撮影が可能でした。



同じ画角、同じロケ、同じ季節でばかり撮影したのでは飽きてしまいます。

思い返すと、同じロケで撮影する限界は3時間程度。
それ以上になると、ほぼ間違いなくレンズやカメラ本体を替えています。

これはテッチャンが殆ど使わない広角レンズでの撮影です。


二つ上のロケでの撮影です。
違いはと言いますと…上り列車と下り列車です。
後はお天気。

多分同じ時刻での撮影だったように思います。


ここも有名ロケ地です。
列車の向うには琵琶湖が見えています。


まあ、これも国鉄カラーになるんでしょうな。
国鉄時代から変わっていない配色ですから。
どちらかと言えば、単に寝台列車として認識されているようでした。

今は亡き青森〜大阪を結ぶ寝台特急日本海。

過去一度、秋田から大阪まで乗車したことがあります。
奮発してA寝台。一番乗り心地が良いとされている車両。
しかしお世辞にも乗り心地は良いとは言えませんでした。

今なら迷わず新幹線かヒコーキを使います。


湖西線のマキノ付近からの撮影です。
マキノはカタカナで書くのが正解。
マキノ高原スキー場を町の名にした、日本初のカタカナ町名です。


ここも有名な場所です。追坂峠。おっさかとうげと読みます。
この近辺にはサクラの名所があります。


湖西線は京都(正確には山科)から敦賀までの、東海道線と北陸線のショートカットとしての性格もあります。
湖西線出来立ての頃は、ここら辺はディーゼルカーが走っていました。
永原までが直流区間、近江塩津から交流区間、途中にデッドセクションと称する電源切替の中立区間があったてめです。
現在このデッドセクションは、敦賀と南今庄間に移されています。


国鉄カラーではありませんが、今は亡き475型交直流電車です。
普段は交流区間の北陸本線を走行していました。
たまに直流区間の湖西線まで乗り入れてくることがありました。

この電車も、数年後のダイヤ改正でこうした乗り入れは無くなってしまいました。


これ以上短くしようがない、湘南カラーの亜流です。
何故、亜流なのか?
橙色と緑色の間に、白い帯が入れられているためです。

首都圏近郊や中京地区では、こんな色合いはありませんでした。
この列車も数年後には山陽方面に転出したもの、廃車されたものとちりじりになりました。


運よく、雪景色の中での撮影となりました。
上の写真と同じロケです。

山陰線の胡麻〜鍼灸大学前間です。


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