Profile
主宰近影
略歴:
1960年代 大阪府下に生を受ける。
1967年 ウルトラセブン 大ブレーク。
町内会で箕面温泉に出かける。出発前に近所の広場に100人程集まり記念写真を撮る、そういう長閑な時代。
観光バスで出かけました。温泉で足を滑らせ頭部を強打した記憶がある。
60年代後半 小学校入学。毎週土曜夜7時のテレビマンガ「巨人の星」が定番。
この時代、人口は増え続け将来は日本人口が2億人突破、と深刻に囁かれた、少子化なんて信じられない時代。
近所には子供相手の駄菓子屋さんが2件もあり、にぎやかでした。
1969年 アポロ11号が月面着陸。テレビは白黒だったので、お隣さんのカラーテレビを観にお邪魔した。
おみかんやバナナをごちそうになりました。
漫画放送(アニメ、なんて言葉が無かった時代)では、もーれつア太郎、紅三四郎などが流行していた。
1972年 連合赤軍のやらかした浅間山荘事件で、ウルトラセブンの再放送が潰された。これは非常に頭に来た。
以降、過激派やテロリストは大嫌いになった。
1980年台 NEC=日本電気の売り出したマイコン
TK−80を入手。
基板から電源まですべて手作りでくみ上げ、ハンドアセンブルでプログラミング、LED光らせたり(Lチカ、と言います)
ステッピングモータを回したりもした。
通信関連の資格取得は、大半が一次試験合格後に放置のため失効。唯一、特技(多重)を取得。
アマ無線資格は1〜4級まで制覇。これは…大した役にも立たない。
80年代中盤 社会人となってしまう。日本語ワードプロセッサの開発に従事。
Intelを世界的ITリーダーにした、8086プロセッサのプログラムをアセンブラ言語、PL/M
86言語、C言語を使って開発。
世の中バブル景気に沸いていたが、納期に間に合わせるため残業と徹夜続きの身分としては、一体何が楽しいんだか
さっぱり実感が無かった。ただ、深夜帰宅時のタクシー料金は全て会社持ちであったことは確かだった。
1990年代前半 人材漁りのため新潟県に子会社を設立したので、人柱として新潟県長岡市に飛ばされる。
環境は抜群に良く、特に渓流が沢山あったので渓流釣りと西洋毛鉤=フライフィッシングに開眼する。
ただ、仕事そっちのけで釣りに励んだため、4年で本社に戻される。しかしこの時に仕込んだ釣りの技術は今も枯れない。
湾岸戦争の始まりと同時期にバブルが崩壊、失われた30年の始まり。
1996年〜 円高ドル安が進行し、1ドル、79円が最高値だったかな?
この頃、IBMのPC/AT互換機は国内ではディスプレイ込みで50万以上したが、牛の模様のモチーフが有名な
Gateway2000のPentium機は円高で個人輸入で30万前後で購入することが出来た。
当時、Amazonなんて存在せず、コッソリ会社のFAXでアメリカGatewayに連絡して首尾よく購入手続きを行い、
2週間前後で機材一式を受け取った。これは良い経験だった。
2000年〜 仕事内容はコロコロ変え、社内SEの真似事から始まり、最終的にSI関連の構成設計チェックに落ち着く。
(システムエンジニア(SE)さんからは、相当嫌われました)
2019年 リストラ募集に応募して仕事から脚を洗い、浪速で小間物屋でもやるか、と首都圏から大阪に戻る。
2021年 里隠れの隠密としてヒッソリと生きる。
色々な経緯を経て第二種電気工事士の免状を獲得。
2021年12月 工事担任者 デジタル1種の免状を獲得。
2022年 ロシアが元自国であったウクライナに侵攻して、欧米各国から総スカンを喰らう